2008年12月03日

クリスマスの季節の光

 パソコンの修理が3週間かかった。改めて、パソコンの有難さを知る。しかし、機器に頼りすぎている危うさも知らされた。プログの間があいておっくうになった。書こうと思っていたことがある。しかし記憶の引き出しが分からなくなっている。
 アドベント(教会暦による)の季節が来た。クリスマスツリーが点灯し人目を楽しませている。朝、太極拳を行っている公園の入り口付近にある家がアドベントリースを飾った。家内に、あの家はクリスチャンなのだろうと話をした。しかし妻が言うにはリースはクリスチャンのしるしではない、季節にあわせての飾りであるとのこと。
 西欧の教会は異教の習慣を飲み込んで異教を無力にしてきた。日本の社会は教会の習慣を飲み込んで教会を無力にしようとしているかのように思える。
 実際に、クリスマスは商品の売り上げのためにだけ利用されている。教会学校に通っている一人の子供が、教会でもクリスマスを祝うのと真顔で不思議がっていた。子供たちは見事な飾りつけに騙されているのである。
 それは子供たちだけではない。外国の旅行者は、クリスマスの季節に日本に来ると、キリスト教の国と錯覚するようである。日本人は人間を魅了し虜にし騙すことに優れているのだろうか。聖書にはこの世の子らは光の子らよりも賢いと言われている。日本の社会が、この季節に輝かせる光は、人間の知恵と富の輝きであり、キリストの誕生に伴い暗い闇を照らした天使の光とは全く違う光である。
 
 
 


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2008年10月04日

人生の思い一つ

歳を重ねたからでしょうか。時折、あの人はどうしているだろうかと気になり、無性に会いたくなることがある。振り返れば、覚え切れない程多くの人たちと出会い別れて来た。一面識の人もいれば、数年間の親交があった人もいる。お世話になった人もいる。良い関係になれない人もいた。いま、思い出そうとしても、思い出せない人もいる。この世では再会できない人が殆どであると思う。そう思うと寂しい気持ちになる。友人に話したら、心配して、老人性うつ病にならないように気をつけよと言われた。しかし、人生とはそういうものなのだと思う。
 いつの日か、別れたくない者たちとも別れなければならない。その時に、幸いな人生であったと言う人もいれば、不幸な人生であったと言う人もいる。私は愛する妻や子供や孫、そしてお世話になった隣人に対して、心からありがとう、幸いな人生であったと感謝して、別れられるように、今を生きたいと思っている。

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2008年10月01日

介護を受けている知人を訪問して

 知人が某特別養護老人ホームに入居している。ある木曜日の午後訪問した。施設は住宅街の中にある。人里離れた山の中にある施設と違い訪問者にホットする感じを与えてくれた。
 丁度、三時のおやつ時で、大広間に集まって来る。介護者に知人の名前を告げると部屋から車椅子で連れてきてくれた。暫らくぶりである。知人は私を見て驚いたようであったが、すぐに気づいてくれた。左手で握手をして再会を喜びあった。脳梗塞で倒れてからは体の右半分不自由のままである。かつてはバリバリの営業マンであった。
 施設の三階では、20代後半の若者たちが介護者であった。女性2人男性二人がお世話をしていた。介護の女性に聞くと、ベテランの介護者たちは4階で働いているとのことであった。体の不自由な入居者の介護には、若い人たちの力が必要である。若い人たちの介護は頼もしい限りである。
 しかし、人生の終わりが、これで良いのかなあとも思った。少々辛く寂しい思いにもなった。家族が世話できないのだから仕方のないことであると分かっている。介護して貰うだけで有難いことである。私が出来るのかと問われればグーの音も出なくなる。がその上で、努力目標として言わせて貰えば、介護者の数をもう一人増やせば、もっと親切なゆとりのあるやさしい介護をして貰えるように思えた。それは、病院でも同じように思われる。私も前期高齢者の一人である。遠い話ではない。
 私は知人の車椅子を部屋まで押して行った。しかし、車椅子からベットに移せないのである。大広間で世話をしている介護者にお願いした。若い女性介護者が知人を抱きかえるようにして、ベットに寝かせてくれた。力も技も必要とする。介護者に感謝し、知人に再会の約束をして帰宅した。
 

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2008年09月22日

あんぱん大好き

 私と妻は‘あんぱん’大好きである。私は‘こしあん’、妻は‘つぶあん’である。どちらも食べたい時は半分に分け合う。妻は大分前からパン作りを習いたいと言っていた。パン作りの先生は、友人にいるのだけれど、教室を開いていない。いつかは、パン作りの教室を始めるだろうと待っていた。時折、友人は手作りのパンをご馳走してくれた。作りたてのパンは実に美味しい。
 妻は待ちきれずにもう一人の友人と一緒に交渉したようである。初級コースで教えて貰えることになった。二回目の実習が終わったところである。‘あんぱん’作りであった。実に上手に仕上がっていた。こんがりとした色も良く、味も良かった。妻手作りの‘あんぱん’だと思うと格別に美味しかった。次回が楽しみである。
 一日、一日の生活は、苦しみと楽しみの糸で織り込まれる。今、高齢期に入り、苦しみの糸も楽しみの糸も、人生を織る大切な糸なのだと思えるようになった。勿論、楽しみの糸が多い方が良いに違いない。
 妻の手作りのパンは、ささやかながらも楽しみの糸である。次回はどんなパンを作るのだろう。また、楽しみの糸が織り込まれる。
 実は、アンパンが好きな理由は嗜好のことだけではない。41年前に3歳で交通事故で死んだ息子の真理が大好きだったのである。妻は出来上がったアンパンを美味しそうにたべる。天国の息子を想いながら。私は妻に感謝しながら美味しい美味しいと言いながら食べる。
posted by ひつじ at 18:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

ヤマボウシ

 ヤマボウシ(山法師、山帽子)の花は、街路樹でおなじみのハナミズキの花と良く似ている。しかし、実は違う。ヤマボウシの実は、ほうずき程の大きさになり、熟して赤くなると食べられるのである。私が子供頃、家の裏山の木々の中に、数本自生していた。だれもが食べたわけではないが、私は好きであり、熟すのを楽しみにしていた。10月に入り稲刈りが行われる頃には小籠をもって木に登り収穫したものである。
 ほどほどに甘い。味の表現は難しい。あえて言えば、品が良く、優雅さを感じさせる味である。なかなか出会いないでいた。故・船津邦夫さんが、元気にしていた数年前に、長野県大町にある日帰り温泉に行き、露天風呂に入った。その露天風呂の周りに、手が届くほどのところに、ヤマボウシが沢山実をつけて熟していた。邦夫さんは、私が感動して説明しても、興味なさそうであった。
 今、ヤマボウシは市役所の街路樹になっている。青い実をつけている。どれ程の人が、熟したら食べられることを知っているであろうか。私は楽しみにしている。また、ヤマボウシの実は、邦夫さんと行った日帰り温泉を懐かしく思いださせてくれる。今、少々寂しい思いになりながら、大町温泉に行けたらいいなあと思っているが、まだ、秋は遠い。 
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2008年09月01日

健康に過ごすために

牛熊公園は青梅線をはさんで福生図書館の反対側にある。太極拳が毎週火曜日朝8時から行われている。多い時は20名程集まる。通りがかりの人が自由に参加できるニーハオ・パートスリーの会である。いまのところは、市内各所にある太極拳教室所属の人たちで行われている。私は60歳以上の人たちの集まり「白鶴」の会に所属して3年目になる。指導して下さる師範のK先生は、実に懇切丁寧に指導してくださる。会員は老化止む無き年齢にありますが、K先生の忍耐強く同じことを繰り返して教えてくださることで励まされて脱落者なく継続している。
ニーハオ・パートスリーの会は、白鶴の会のSさんの掛け声とリードで始まる。青梅線が大勢の通勤者を乗せて側を通過する。公園の周囲には木々が枝を張り、小鳥がさえずり、心地よい風が吹き抜ける。30分程、深い呼吸を意識し、ゆっくりと手足を動かす、気分爽快である。夫婦共に、健康が第一の年齢である。太極拳に出会えたことは実に幸いなことである。妻は習い始めてすぐ体調の都合で止めざるを得なかった。今は、私が継続しているのを喜び励ましてくれている。太極拳は奥が深いと言われる。深い思想もある。しかし、私は健康が目的で始めたことなので楽しく気持ちよく続けたいと思っている。何でも楽しく気持ち良くが健康には一番と思っているのである。
妻は数年前から動きの悪くなっている腕がついに夕べ激痛の為寝むる事も出来なくなった。止む無く、妻は大嫌いな病院に行った。レントゲンの結果石灰が骨に取り付き擦れて動きが悪くなり、堪えてきた痛みが耐え切れない激痛となった様である。妻はカルシュウムの取りすぎでしょうかと聞いた。先生の答えはにべも無く、老化ですね食べ物とは関係ありませんねと言い、石灰を溶かす注射と薬とシップ薬を処方してくれた。被れ易い皮膚を心配する事を訴える間もなく、薬剤師は被れない内に剥がして下さいと素早くいった。のんびり屋の妻は感心して遅ればせながら急いで直すことを決心した。私は近い内に一緒に太極拳が出来ることを目標に支えて行こうと決心を新たにした。今日は長男が41年前三歳で天国に召された記念日である。
















posted by ひつじ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

温泉大好き

8月第2週に夏休みがあった。万座温泉に行こうということになり、万座温泉ホテルに電話して見た。幸いに空室があり宿泊出来た。見晴らしの良い部屋ではなかったが、広くて、清潔なので満足出来た。妻はいつも布団で寝ているのでベッドでは眠れず、ベッドの脇に布団を下ろして寝ていた。風呂は三つあり、私は三つとも入った。かけながしの温泉は気持ちが良い。大風呂の前にはスキーのリフトのある山があり見晴らしはとても良い。夕食の後には広間で泉堅という歌手がアベマリアと他数曲を歌うのを聞いた。一時間程であるが、最後まで聞いた人の中からくじ引きで4人に一泊の無料宿泊券をあげるとのことであった。妻と二人で最後まで聞いた。歌も上手だし、人生訓の語りも上手である。語りには高地温泉万座の宣伝も入る。実は、泉堅は芸名であり、私たちが宿泊した日進館万座温泉ホテルの代表取締りとのことであった。司会をしたフロント係りの女性がゴスペルソングを歌った。福島県の勿来が郷里だと自己紹介をしていた。従業員の接待も良く、私には感じの良い温泉ホテルであるとの印象をもった。万座に行くならば、また日進館万座温泉ホテルに宿泊したいと思う。今度行くときは讃美歌を歌ってくれるといいなあ。
posted by ひつじ at 22:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

妻との会話

 私は台所仕事をしなかった。結婚して43年程になる。つい最近、妻の手が酷く荒れているのに気づいた。食事の後の食器の洗いを少々手伝うことにした。私は少々てれくさい思いもあり、また、少々のお手伝いをしてみて、妻はこんなにも大変な同じことを何十年もしているのだなと思うと、しみじみと苦労が伝わって来る。妻は、私が手伝うのを見ながら、あなたがこんなことをするようになるとは全く思いもしなかったと驚いているのか喜んでいるのか分からないように言った。
 それを聞いた私は、そうだね、、あなたが忍耐できずに私を見限り離婚していたら、こんなに良い変身ぶりを見られなかったよねと。冗談を言った。しかし、まんざら冗談でもない。夫婦は、いつも仲良く、喧嘩もなく、いつも穏やかに、相手に思いやりをもって、というわけにはいかない。互いに忍耐できなくなり離婚する人も少なくない。赦しが怒りや憎しみに追いつかなくなると危うくなる。
 私が今日あるのは、妻が赦しに赦しを重ねてくれたからであると、つくづく思って感謝している。しかし、良い変身ぶりを見せたいと、心は熱すれど行動がなかなか伴わないで困っている。さあ、頑張ろう。
posted by ひつじ at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

私の心は、私の力で平和にならない

 私は若くはない。それなりに人生経験もある。人生経験は心の修練ともなる。私は牧師であり聖書の言葉により心の修練をしている。しかし、肉体を鍛えるようにはいかないものだ思い知らされている。心は自分の思い通りにならない。私の頭は、平静な心を保とうと呼びかけ、指令を送る。ところが、心の方は聞いてくれない、指令に従わないのである。心は、怒りと不安で荒れ狂い荒波に漂う小船のごとくなる。怒りは心の中でおさまらず、頭の思い煩いとなり、心臓の痛みとなる。私の人生はその苦悩の繰り返しである。
 しかし、幸いに、私の心は壊れていない、頭も心臓も多少弱っているだけで壊れていない。それは、私の人生の主である、主イエス・キリストが、私が壊れる前に支え助け守って下さるからだと確信している。
 聖書のコロサイの信徒への手紙に「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。」と教えられている。教えのごとく出来れば、確実に人生は平和となる。が、容易なことではない。しかし、私の主イエスは、その都度私の祈りを聞いてくださり、心の平和を取り戻して下さった。故に、私の主イエス・キリストは、今の怒りと不安に波立つ心も、今後のそれも、平和を取り戻して下さり、歩むべき道を開いて下さると確信している。さあ、荒波にではなく、主イエスに目を向けて、今日の生活をはじめよう。
posted by ひつじ at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

孫が来る

 8月3日から6日まで孫が来る予定である。幸いなことである。孫は二人、来るのは上の子である。平成12年12月12日生まれである。小学2年生になった。息子夫婦は千葉県に住んでいる。カブトムシやカエルがすきである。それは大切にしてあげたいと思っている。しかし、私は田舎育ちなのに虫の類はどうも苦手である。いまだに平気で触れない。自然との共生が出来ないのかも知れない。
 それなのに、田舎暮らしは、私の憧れである。私が果物の木を植え、妻が花木を植える。美味しい実を食べ、美しく咲き乱れる花々を見て、神の御業に感謝し賛美する日々を過ごしたい。そして、神が召してくださる日を待つのである。これは私の願いにもとづく計画であり、実現できるかどうかの決め手は神の御心である。
 私が死に場所を選べるならば、人間の技術による都会のビルの谷間ではなく、神の御業による自然の谷間を選ぶ。しかし、神が召される場所があり、神が召される時があり、私たちの自由に出来ることではない。 だから、今宵は、孫が来るのを楽しみに、カブト虫をどうしたら取れるかを考えよう。 
 
posted by ひつじ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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